農園紹介
概要
称 号 | 有限会社 福田グリーン農園 |
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連絡先 | TEL:0299-59-3251 FAX:0299-59-5466 メールフォーム |
住 所 | 〒315-0067 茨城県かすみがうら市下佐谷777 |
観光農園設立 | 昭和46年 |
敷地面積 | 約7万平方メートル |
加盟団体 | 千代田果樹観光協会連盟 |
代表者名 | 福田美保 |
事業内容
福田グリーン農園の歴史
1773年(安永2)には助郷役どころか年貢もままならないという状態から、稲吉宿では他領の村にも加助郷を実施するよう幕府に願い出た。結局、他領26カ村で200両の金を集め、その利子で稲吉宿が加助郷分の人馬を雇うことになったが、この200両は本堂氏によって取り上げられてしまい、これが一因となって1778年(安永7)に「安政の一揆」が起こる。
同年12月、各村に懸札が掲げられ、それに呼応して25カ村の農民が嶋木原(現、四万騎原)に集結した。懸札をしたのは下佐谷村(同市下佐谷)の名主総代・助六、上佐谷村(同市、上佐谷))の六郎治、高倉村(同市、高倉)の庄右衛門の3人で、彼らが中心になって13カ条の要求を本堂氏に提出したが拒否されたため、本堂氏の江戸屋敷へ強訴を掛けた。このため指導者のほとんどが逮捕されたが、助六だけが翌年の9月16日に打ち首獄門となり、街道筋に首がさらされた。たまたま通りかかった水戸藩主による「惜しい人を亡くした。首は福田家が引き取り、菩提寺で弔うように」とのお達しで首は実家に戻ることができた。
この一揆は助六の名をとって「助六一揆」とも呼ばれ、一人犠牲となった助六の霊を弔い、その遺徳を後世に残すため農民たちは閑居山(同市上志筑)の中腹に「助六地蔵」を建立した。